ビジネスの世界では、若くして成功し、巨万の富を得た人物が取り上げられがちですが、世界的に有名な人物でも、40代、50代、あるいはそれ以上の年齢になってから大きなチャンスをつかみ、成功したパターンもあります。
この記事では、そんな遅咲きの成功者たちをピックアップし、彼らの道のりや言葉から、年齢にとらわれず挑戦し続けるためのビジネスヒントをお届けします。
カーネル・サンダース(KFC創業者)
「私のルールは2つだけ。できることはすべてやり、そしてベストを尽くす」
40代になるまで、蒸気機関車の機関士、弁護士、保険外交員、フェリー会社経営、タイヤ販売、ガソリンスタンド経営など、数々の職を転々とし、多くの失敗も経験しました。
経営を任されていたガソリンスタンドが閉鎖されたあと、そこに作ったレストランで提供していたフライドチキンが評判となり、65歳の時にフランチャイズビジネス「ケンタッキーフライドチキン」を本格的に開始。独自の調理法とスパイス、そして白いスーツと杖というトレードマークで、世界的なファストフードチェーンを築き上げました。
レイ・クロック(マクドナルドコーポレーション創業者)
「幸運とは汗の配当である。汗をかけばかくほど幸運になる」
ミルクシェイク用ミキサーのセールスマンとして働いていたレイ・クロックは、52歳の時にカリフォルニア州でマクドナルド兄弟が経営するハンバーガー店に出会います。その画期的に効率化されたシステムと高品質なハンバーガーに大きな将来性を見出した彼は、兄弟を説得してフランチャイズ権を獲得。その後、時に強引ともいえる手腕で事業を拡大し、マクドナルドを世界最大のファストフード帝国へと成長させました。
彼の野心と執念、そしてマクドナルド兄弟との複雑な関係やビジネス拡大の過程は、マイケル・キートンがレイ・クロックを演じた2017年公開の映画「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」(原題: The Founder)で詳細に描かれています。その商才と執念には誰もが驚かされるはずです。
安藤百福(日清食品創業者)
「即席めんの開発に成功したとき、私は48歳になっていた。遅い出発とよく言われるが、人生に遅すぎるということはない。50歳でも60歳からでも新しい出発はある」
若いころから事業を手掛けていたものの、戦後の混乱期には事業の失敗や全財産を失うなどの大きな困難を経験しました。その後、かねてより温めていたアイディアである、お湯があればすぐ食べられるラーメンを実現すべく、自宅の裏庭の小屋で研究を重ね、48歳のときに、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発売。さらに61歳のときには、世界初のカップ麺「カップヌードル」を開発し、世界の食文化に革命を起こしました。
マーサ・スチュワート(ライフスタイル提案者、実業家)
「私には2つのモットーがある。1つは、毎日なにか新しいことを学ぶということ。もう1つは、変化をやめたときが終わりのときだということ」
モデルや株式仲買人などのキャリアを経て、30代後半からケータリングビジネスをスタート。
最初の料理本を出版したのは41歳、自身の名を冠した雑誌「マーサ・スチュワート・リビング」を創刊したのは49歳のときでした。今でいうインフルエンサーの元祖ともいえる存在です。
その後、テレビ番組などのメディアを通じて、料理やインテリアなど、暮らし全般に関わる洗練されたライフスタイルを提案。さらに、関連するオリジナル商品を幅広く手がけることで、巨大なビジネス帝国を築き上げ、アメリカを代表する女性実業家の一人となりました。
しかし、その成功の絶頂期にあった2000年代初頭、インサイダー取引疑惑に関連した司法妨害などで有罪判決を受け、約5カ月間服役するという大きな試練に見舞われます。一時はキャリアの終焉も囁かれましたが、出所後、彼女は再びビジネスの第一線に復帰。新しいテレビ番組の開始、新たな書籍の出版など、精力的に活動を再開しました。特に、人気ラッパーのスヌープ・ドッグとの料理番組「Martha & Snoop’s Potluck Dinner Party」は大きな話題を呼び、若い世代にも彼女の魅力を広め、ブランドイメージを刷新することに成功しました。
ジェームズ・ダイソン(ダイソン社創業者)
「成功から学ぶことはないが、失敗からは学ぶことができる」
従来の紙パック式掃除機の吸引力が落ちることに不満を感じたダイソンは、15年の歳月と、貯蓄のほぼすべてを費やし、5,127台の試作品を経て、サイクロン式掃除機を開発。しかし、大手メーカーに採用されず、自ら製造・販売を決意。44歳のときにダイソン社を設立し、彼の革新的な製品は世界中で大ヒットしました。
「失敗は成功のもと」を体現したダイソンは、「私は失敗を気にしない。5,126回の失敗から学び、解決策を見つけ出したのだ」という趣旨の発言をしています。
モーガン・フリーマン(俳優)
「もし20代や30代で有名になっていたら、うまく対処できなかっただろう。遅くに成功したことで、より感謝できるようになった」
若いころから俳優として活動し、長い下積み時代を経験。34歳のときに、子ども向け番組「The Electric Company」に出演し、経済的には安定するようになりましたが、実際に彼が映画界で大きな注目を集めるようになったのは、1987年の映画「NYストリート・スマート」。この作品でアカデミー助演男優賞にノミネートされました。このときフリーマンは50歳でした。
その後、「ドライビング Miss デイジー」「ショーシャンクの空に」など数々の名作に出演し、世界的な名優としての地位を確立しました。
まとめ: 人生に遅すぎるスタートはない
今回紹介した人物たちを調べて感じたのが、彼らの多くが粘り強さを大事にしているということです。
もちろん天才的な一瞬のひらめきや運も必要なのでしょうが、それよりも、目標に向かって粘り強く物事を進めていくことこそが、成功の条件なのだと思います。
マクドナルドコーポレーション創業者のレイ・クロックが好んで引用した、第30代アメリカ合衆国大統領カルビン・クーリッジの言葉に以下のようなものがあります。
「この世において、粘り強さ(Persistence)に勝るものはない。才能(Talent)ではだめだ。才能がありながら成功しない人間ほどありふれたものはない。天才(Genius)でもだめだ。報われなかった天才は、ことわざになるほど多くいる。教育でもだめだ。世の中は教育を受けた落伍者であふれている。粘り強さと決意だけが、全能なのである。
『進み続けよ(Press On)』というスローガンは、人類の問題を解決してきたし、これからもつねに解決するだろう」
ベタな言葉かもしれませんが、人生に遅すぎるということは決してありません。今日が、あなたにとって新たな挑戦をはじめる一番若い日なのですから。